世界一眩しい

頭激弱精神破壊録

何も出来なくなった

2018年、支援してもらわなければ職も探せないクソザコナメクジ人間が支援員にメンタルをボコボコにされ(私もボコボコに迷惑かけたんですけどね)、何とか泣き寝入りだけはしたくないと思い『苦情』という名目の相談をしたら大阪府庁に支援員…支援センターの支援員が呼び出しくらった。

 

もうその支援センターは利用しないし気持ちの面で出来ないけど、同じ思いをする人が減れば少しは救われる気がした。

でもそれと同時に自分で気が付けない自分の非もあると思ってずっと考えてる。

『支援センターの支援員がしてはいけない事』が1つあった、でもそれ以外の事でも悩んでいた。実際2016年から悩んでいたのも『それ以外の事』だった。

 

2018年8月に府庁に呼び出されたという事を聞いてモヤモヤは残るが相談した事は解決したように思ったのに、2018年12月半ばになって本当は解決していなかった、実際相談した内容と府庁に呼び出された支援員の言った事が違っていた。証拠もあると相談した時に伝えたのに、支援員の言うことが正しいかのように捉えられていた事が分かった。他にも2年間悩んで市役所にも相談したけど何も解決しなかったから自分でどうかするしかない状態だったけど、実際はそうじゃなかった事も今更分かった。

知らずにいたら良かったのかもしれない。どうして皆今更言うのか分からなかった。

支援センター、市役所福祉科、自立支援課福祉部(府)、この3箇所から再度殴られた感じ。

時系列、具体的な事を書けてないから意味分からないなこの記事…ヴーン…

 

最終的に両親の反応で泣きっ面に蜂や。ブーンやブーンブーンや、何が、ブーンや!

 

ラリっても酒飲んでもバッド(笑)状態で、何がきっかけになるのか分からないけど泣いたり不安になったり死にたくなってしまう状態になった。今もこの内容レベルでもう動悸がして苦しい。電話の最中に言われた言葉を思い出そうとしても所々抜けている。記憶力が衰えてしまったのもあるのかな。

 

私、働きたいから手帳取って支援センターを利用しようと思った。納税したい。働きたい。3大義務くらい果たしたい。手帳や病気や障害は免罪符ではない、ただもう嘘をついてまで一般雇用枠で迷惑をかけてまで自分が落ち込んでまで働くんじゃなくて、私には多々欠落している所があるけれど努力は欠かさないです、こんな人間ですが雇ってもらえますか?という意味の手帳だと思っている。

 

どんな仕事でも仕事は仕事、お金を貰う以上それに見合っ……どんなに自分の理想や思いを書いても無職なのは変わらないのに何書いてねんやろ。

 

だけど、備忘録として書いていきたいのでまた、精神面が安定しだしたら書こう。

 

以上です。